第2期始動

こちらの大学に来て、二期目の卒研指導がスタートしました。まだ一期目の指導が終わっていないのだけれど、早くも世代交代です。

一期目は一人でしたが、二期目はなんと3人(実際には4、5人)の人に僕のテーマをやっていただくことになりました。とても嬉しい反面、今からうまく指導できるか不安ですが、全力でやる他にありません。このチャンスを生かしたいです。

さっそく当面の方向性を共有するための資料作りを行います。

が、出鼻を挫くかのごとく、妻がインフルエンザでダウン、、、仕事を休んで子供を見ることになりました。

女性のワンオペ育児がいかに辛いか、とても勉強になります。僕は一日で相当疲れてしまいました。ついイライラして子供に大声で怒ってしまったり、普段は許せるようなことも、自分に余裕がないとこんなにダメになるとは、、、、こんなことを毎日文句も言わず頑張ってくれている妻に感謝です。これからは家庭のことも考えないといけないなと実感している今日この頃です。

 

 

研究テーマ

昔、恩師から言われた一言「研究はテーマが全てだ」

同意。しかし良いテーマ設定は難しい。いくら自分が良いと思っていても、全くポジティブデータが出なかったり、そもそも全くのアーティファクトが出発点だったりすることに数ヶ月後に気がついて青ざめたり。

研究テーマを決めるステップには細心の注意を払いたいが、いつまでも警戒していては研究が始まらない。そこで僕はテーマを決定するにあたって、1つ心に決めている事がある。それは、はっきりした表現型を示す変異体をテーマの軸にもってくる事。曖昧な表現型のものは、それはそれで意味があるし、そこにこそ重要な意味が隠されているとも思うが、ちょっと躊躇してしまう。特に卒研生にやってもらうにはリスクが高い。表現型が強ければ、多くの実験結果も白黒はっきりした結果が出てくれるだろう。表現型が曖昧だと、黒とも白とも言えないグレーな実験結果が多いかもしれず、解釈に慎重さが求められる。そういう迷いをなるべく味わいたくないので、表現型がはっきりしたものを触るのが僕の方針。

 

昔、無能なPIからこんなテーマを与えられかけた。

自分の扱っている生物とは別の種で、あるタンパク質Aの分解制御に関わる酵素Bが知られており、その現象を自分の扱っている生物の酵素Bホモログでも試そう、というもの。

僕は、他の生物種の知見を自分の生物でも試すことは重要なことだと思う。面白いかは別として。しかし実際には、Bホモログをノックアウトしても、タンパク質Aが過剰に存在する際に現れるであろう表現型が現れないのである。僕はこの時点で撤退した。無能なPIは酵素BとBホモログの間に配列ホモロジーがあるから、機能ホモロジーがあると予想したのだが、これは予想というより妄想だ。表現型ではなく妄想がベースにあるテーマほど怖いものはない。この妄想に付き合わされ、学生さんが一人、怒られながら無駄な時間を費やしているのをみて、非常に虚しくなったのを覚えている。

その因子にこだわる根拠が一体どこにあるのか。自分の頭の中にあるとしたら大変危険。研究テーマを与える側は相当の注意をしなければならない。

 

仮配属生来る

先月から3回生が仮配属され、研究室にきています。8名。多いです。

4回生とはまた違う印象ですが、個性豊かな真面目な子達です。今後が楽しみ。

この一年間で学んだことから、3回生にどんな風に教育したら良いかを考えています。

基本は放任主義ですが、4回生の指導をしていて、そうも言っていられないことに気がつきました。実験操作自体は現場で見るとして、研究の背景や過去の知見などをどうやって学んでもらうか、大きな課題です。

読書会でも開こうかな。週に1回30分間、どこかに集まって好きな本か論文か、とりあえず読んでもらう。多読本とかもいいかな。

 

アダルトチルドレン

毒親に育てられた、家庭が嫌いで、自分のことも嫌い。自信がもてない。

誰かに自分を認めて欲しい、愛されたい、親の愛情の代わりを探して常に飢えている承認欲求の塊、批判にめっぽう弱くて、常に周りの目線がきになる、それがアダルトチルドレン

こんな親に育てられたから、しょうがない。それも良くわかります。

でも、それを言っても始まらないことも、もう分かっているはず。

自分で自分を慰め、認めて、受け入れるトレーニングを、そろそろ始めるときかもしれません。

悲惨な家庭環境だったかもしれない、でも、あなたは自分の人生を自分自身で選択して、自由に生きる権利を持っている。サバイバーは強い。自分自身で、子ども時代を乗り越える力を持っている。新しいスタートを切るために、今まで子どもなりに気を遣って、気を遣いすぎて生きてきた自分を自分で認めるトレーニングを始めてください。

 

 

安田さん帰還

安田さんのジャーナリストとしての行動にネットもテレビも炎上してますね。

リスクが伴う取材に自らの責任で向かう戦場ジャーナリスト、是非は置いておきましょう。議論しても正解はない類なので。

僕が問題にしたいのは、拘束されてる時点では何も言わないのに、解放された途端に一斉に叩く人たちです。なぜ拘束されていた間は叩かなかったのでしょうか。死んでいたらどうしていたでしょうか。やはり叩かないですよね。

結局弱い立場の人間を小突きたいだけなのではないでしょうか。

生きて生還したこと、もっと普通に喜べないのでしょうか。

運動会

今日は長男の運動会。家族総出で応援に行きました。

応援だけでなく、僕もがっつり競技に参加。走って回って跳んで潜って、もうヘトヘト。おまけに台風一過で季節外れの真夏日でした、、直射日光で顔が真っ赤に。

長男はというと、かけっこで一番にゴールしたのがとても嬉しかったようで、家に帰った後も何度も何度もその時の動画を見ては嬉しそうにしていました。よかったね。ダンスも覚えて、家で何度も披露してくれます。カワイイです。今日は先生の話をよく聞いて、周りとも調和のとれた様子でした。成長しました。半年前に引っ越しで寂しい思いをさせたのですが、友達と駆け回っている姿を見て安心しました。親の知らないところですぐに大きくなるから、もっと長い時間見ていたいな(めっちゃ疲れますけど)。

 

 

学歴

今の大学に来て、驚くことが二つ。一つは何処何処の高校を出た、というのがステータスになっているという事、もう一つは学歴(大学)への劣等感を卒業間近まで引きずったままの人が普通にいる事。

高校がどこだとかいう話は、少なくとも大学に入った時点でリセットされるというのが僕の認識なのだけれど、ここの学生は違う。というか教員も。これはもしかしたら関西だからという事なのかもしれない。多くの有名進学校があるからなのかな。とにかく彼がどこの高校卒業で、だから〇〇なのだ、というように、卒業した高校の名前がその人のキャラの一部を占める。これには本当に驚いた。所属で個性は決まらない、というのが僕の断固たる考えだから。

学歴への劣等感の話は、特に滑り止めで受験して入って来た人に顕著かもしれない。これは本当に勿体無い。日本の教育システム、というよりは予備校ですかね、偏差値教育を煽りまくって商売してるアホたちが作り出した犠牲者です。第一希望に落ちたことで、本来まっっっっっったく抱く必要のない負の感情を持ってしまっている。僕からすると、高校3年間、盲目的にあんな膨大な面白みのかけらも無いような内容を頭に詰め込む教育に従順になれた人たちに、ちょっと呆れてしまう念すらも持っているくらいです。なぜみんな同じ土俵で戦うことを強要されなければならないのでしょうか。僕は高校では勉強しませんでしたが、後悔は全くありません。アホが作り上げた価値観に従うことって、楽しいですか?安心ですか?ただ搾取されていることに気がついて欲しいです。高校の勉強で競り負けてしまう人の方が人間的に魅力的なことも多いのです。

それに、大学入試が終わってもう何年経つのでしょうか。大学4回生なら4年経ちます。高校の3年間よりも長いんです。じゃあ大学4年間で何をしてきたかの方が重要ではないでしょうか。そう考えられない人がたくさんいます。いかに人が作った価値観に縛られているのかが良くわかります。

もうそろそろ自分自身の価値観を見つけなくてはいけない時期だと思います。それを探すことから逃げていては、一生勝てないレールの上を走り続けていくだけなのだから。