写真映えする魚の撮り方
インスタに魚載せまくってるのがフォロワーさんから不評な事が判明してしまい、でも魚の写真いっぱいあるし、とりあえずこっちに貼る。最近、魚が美しく映る写真の撮り方を勉強中。一つは、遠近法を使って魚を大きく見せる事ができるらしい。頭をアップでピントを合わせて、尻尾が奥になるように魚を配置するようにしても、奥行き効果(これも遠近法ですかね)で魚体が大きく立体的に、見栄え良く映るみたいです。というわけで、25センチくらいの子バスで試してみる↓
うん、まあ。
大規模スクリーニング前夜
いま、ある独特な染色体の状態に興味があり、半年前くらいから、その染色体の状態をコロニーカラーで解析できるような仕組みを構築してきたのだけれど、その系がなんとかうまく動き出しました。これから自分の扱っている生物の全非必須遺伝子の変異体を対象に、そのコロニーカラーを解析します。どんな遺伝子がとれてくるでしょうか。予想をおもいっきり裏切ってくれることに期待しています。
来週から学生実験がはじまります。さらにこれから財団やら科研費やら、申請時期に入ります。実験に注力し過ぎても大変です。はやる気持ちを抑えつつ、とりあえず週明け締め切りの財団の申請書を書いています。
試験
この歳になって思うのは、何かの試験は、その人のほんの一側面しか測る事ができない、本当にしょうもないものだという事。一体その試験で自分の何を測られてきたのか。この歳になるまで色々な試験を受けてきたけれど、自分の持っているオリジナリティに測りを当てられたことなど一切ない。でも、実際に何かを成し遂げたり、人と協力して仕事を進めたり、何より人生を楽しむためには、そのオリジナルな部分が最も大事だということに、大学を卒業するとすぐに気がつくと思う。僕はいま、試験で測られる様な一般的知性に頼って仕事や趣味や父親をしてはいない。自分の興味や関心、関わってきた人との間で起こった化学変化で得られたオリジナリティで勝負している。それで国際学会で口頭発表にだって選ばれるし、息子のめちゃめちゃいい顔を写真に収める事だってできる。オリジナリティさえ見失わなければ、いつだって周りと対等に、ハッピーに生きられる。だから、試験なんて落ちても気にしなくて良い。見る目ないなあと思って次に行くのが正解。
夜泣き
次男の夜泣き担当は、なんとなく僕に決まっているのですが、一晩で5回も6回も起きます。抱っこしたらまた寝る。放っておけばそのうち抱っこしなくても寝る様になるという人も多いですが、僕は抱っこすることが多いかな。泣くっていう事は、何かしらの不安を訴えていると思うので。大袈裟ですが、承認欲求と自己肯定感って、こんなことの繰り返しで満たされていくものだと思っています。
先日やっと1歳になったところ。夜泣きはもう少し続きそうです。